八王子よみがえりの水の言い伝え


  八王子権現の由来は、昔後柏原天皇(1500~1526)の時代、周防国二王三郎という鍛冶が、戦乱の世を憂えて安芸国品治郷石井谷に移住して、伯父の二王清祐から伝えられた業を営んだ。
  三郎は以前から近江国日枝山八王子の宮を信仰していたので、ここに分霊を勧請して朝夕参拝するうち、いつの間にか山の様子、森の木立ちまでも何だか尊いように思われてきて、有り難いという気持ちが強く起こってきた。それが神様の御心にかなったのだろうか、垣のほとりから泉が湧き出してきた。三郎は不思議に思ったが、後にこの泉で剣の焼刃を作り、世に名高い名工となったという。そのうえ、この泉に浴して色々な病気が治ったことも多かった。
  それなのに、いつのころからだろうか、湧き出ることがなくなり長い年月を経た。ところが寛政8年(1796)3月2日の夜、当村の老農市郎兵衛という人にお告げがあって、翌3日の早朝から100の清泉が湧き出た。それ以来参詣の人が蟻のように続き、一度泉に浴したものはいかなる病でも治らないということがなかった。誠に有り難い時に逢い、得がたい清泉を頂いて、人々が体を安楽にし長寿を全うすることができるのは、たぐい無い神様のおかげである。
  なお当神社近くの田は(浅野氏)御家老の所領で、先年お内儀が病気の時、この泉で治され、新しく鳥居の奉納があったという。
  この泉の由来が500年も800年も、いつまでも伝えられてほしいと願って、以上のことを記す。
 
平成4年9月 本地地区街おこし組合